言葉のリサイクル

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日航ジャンボ墜落事故から30年 風化をなくすために

 
 帰省ラッシュと夕刻ということもあった。多くの乗員乗客を乗せた日本航空123便(現在は欠番)は、静岡県内などを迷走飛行した後、群馬県上野村の通称「御巣鷹の尾根」に墜落した。4人が奇跡的に救出されたが、520人の方たちは亡くなった。墜落時の機体の激しい損傷により、未だにその亡骸が分からないままの人たちもいる。
 
 人の記憶というのは曖昧である。かつて123便墜落事故の発生時のことを「18時台のニュースの終わりに知った」と思っていた。キャスターが「埼玉県内の山頂で火の手が上がっている模様です。現在、埼玉県警秩父署員が現場に向かっています」と言っていたと前に書いた。しかしどれだけ調べても、第一報は19時台のニュースであり、18時台に速報を伝えた報道機関は見つからなかった。
 
 事故直後の日本航空は激しい批判に晒されていた。事故の3年前に同社の350便が羽田航空沖に墜落する事故があり、操縦桿を握っていた機長の精神疾患が判明、123便の墜落事故も「また同じことではなかろうか」と考えられた。
 
 しかし実際は、操縦不能となっていた機体を立て直そうと、コックピットでは努力奮闘されていたことが後に公になっている。機長の遺体を判別できたのは、4本の歯だけであった。
 
 その他の乗客の身元を照合する作業も困難を極めた。真夏の出来事であり、亡骸の損傷の激しさに加え、DNA鑑定なども確立していなかった時代である。血液型、歯形、所持品、ほくろや手術痕などから特定するしかなかった。
 
 多くの人命が失われた事故を風化させないために、日本航空はもとより、遺族の方たちもその想いを様々な形で継承していく。子供を失った遺族同士が連絡を取り合う、会ったことのない父のために毎年御巣鷹の尾根に登山をする娘。遺族でありながら、パイロットであった父と同じ道を歩んでいる女性。
 
 こうした事故は、人による明確な加害行為であったわけではないが、責任や悲しみが一生ついて回る悲惨な事故。このような事故が起きた事実を後世に伝えなくてはならない。
 
 それは当事者だけではない。記憶は風化し曖昧になる。同じように航空機や鉄道や自動車に乗る者として肝に銘じなくてはならないことがある。それは、忘れたい悲しみと、忘れることのできない悲しみがあるということである。
  
  
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