事件事故被害者の傷が癒える日は来ないのだろうか

 交通事故の被害者の女性(30)はねたきりであり、両親がその介護をする。しかし両親が先立ったら誰が娘の面倒を見るのか不安であるという。女性は反応を示さないが、親御さん曰く、「分かってくれている気がする」という。
 
 昭和55年に東京・西新宿のバスターミナルで発生した「新宿バス放火事件」の被害者である女性が先日亡くなった。被害後は兄との断絶、好奇な目などに苦しむも、その体験を執筆しノンフィクションライターとして活躍した。犯人の男は無期懲役となったが刑務所で自殺した。
 
 こうしたこと以外にも、地下鉄サリン事件、松本サリン事件、通り魔事件、そして小さなニュースとしてしか扱われない交通事故やストーカー被害者がいる。何の落ち度もない人たちが、犯罪被害者として生きていかなくてはならないのはあまりに酷である。
 
 日本国憲法25条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と記されているしかし、日本社会では果たしてこの明文化された法を前に立ちすくんでいるだけではないだろうか。
 
 法律は社会の味方である。それが社会を円滑にする一つの指針となっている。そして正義の味方は法令や条約ではない。人と人との繋がりを守る、約束を履行できる、一個人だけがそれをなし得るのである。
 
 些細なことでも、一人のために正義の味方でいられた一日であったか、毎日検証すべきである。
 
 
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