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高校生だった英語力

 
 高校生のころ、近所の家に遊びに来ていた同い年のアイバン君と一日過ごした事がある。アイバンはアフリカ大陸中間に位置するザンビア出身だ。公用語は英語なので、彼とは英語で会話をする事となった。
 
 原宿まで行ってそこからは竹下通りでの買い物、喫茶店に入って過ごすなどした。電車に乗って地元に戻るとファミレスに行って、ゲーセンに行って楽しい時間を過ごした。 
 
 いま、このことを思い出してもよく分からない事がある。それは、丸一日英語で何をどうやって話していたかという事である。
 
 難しい事について話ができるわけでもないので、取るに足らない話をしていたと思うが、喫茶店や行き帰りの電車内、ファミレスで2人きりになって何を話したのであろう。
  
 当時から英語は好きであったが、いまほど語彙が豊富なわけではなく、ただ同性で同い年のアイバンであったということがその場の空気をよくした事は間違いない。
 
 加えていえば英語は学校で学んでいる最中であった事ことで、たいした言葉を知らなくても英語の運用能力はいまに比べると高かったに違いない。何しろ、頭が柔らかい。
 
 ここでいい意味での”貧乏悩”が発揮されるのである。
 
 持っているものが少ない場合、いまあるものでどうにかしようと思うのが知恵である。足りないから買うのではなく、最低限の自分で全てを発揮するのだ。だから非力な英語力で伝わったのだ。
 社会に出るとダメ元で”何とかなる”事は少ないかもしれない。しかし結果を恐れるあまり、”ダメ元”を忘れてしまっている、そんな気がするのだ。勇気という大げさな事ではなく、ただの一歩をうっかり踏めばよい。自分を壊してしまえ、その勢いで世の中が少し崩れてもいいから。
 
 アイバンとは友達同士の感覚で話せたのがよかった。同い年だから拙くても何とかなった。だから思い出しましたよ、彼に質問した事の一つが、「どうしたら彼女ができるか」であったことを。
 
 
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