言葉のリサイクル

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長崎女子生徒の心の闇 優しい気持ちはどこに置き忘れた

 
 長崎県佐世保市の女子高校生による事件は衝撃的であった。現在のところ、「人を殺してみたかった」が動機で有り、被害者である女生徒とのトラブルや恨みという類いは聞こえてこない。取り調べには淡々と応じているが、反省や謝罪の言葉はないという。
 
 長崎県というとかつて、小6女児が同級生の女児を教室で刺殺した事件、中学生男子が男児を裸にして立体駐車場から突き落とした事件がある。事件の態様があまりにもひどい事件ばかりである。
 
 長崎では「命を大切にする授業」というものが行われていたが、本事件加害女子生徒には届かなかった。成人ではない未成年の犯罪においては、学校だけではなく、家庭や地域社会が守る必要がある。事件や騒動を起こさないようにさせるのも子供たちを守る事になる。
 
 私の妹が中学生だったころ、同級生男子が妹の給食に洗剤を入れるという出来事があった。幸い妹は無事であり、男子生徒と保護者が自宅まで謝罪に訪れて一件落着した。愚かな事をしてしまった男子生徒はそれで愚行から”アシを洗った”ことであろう。
 
 同様の行為を佐世保の加害女子生徒は小学生時代に複数回していた。この問題行動は中学校にも引き継がれた。
 
 成人犯罪者の心の闇はある程度広がりに限界が有り、枠組みされているが、未成年の犯罪者の心の闇は深い。解明には時間がかかるだろう。
 
 思えば、綺麗な花が咲いているのにむしり取ったり、意味もなくカブトムシとクワガタを戦わせて傷つけたりした。小さな命が枯れていくのを見て、少しずつ生命体といたわる事を覚えた。その衰えていく姿を時間と重ね合わせて感じ取っていたのだ。
 
 今の時期は蚊が出没するが、腕に止まった蚊をぴしゃりと叩いて絶命させるのも後味が悪い。数秒前まで生きていた命を終わらせたのだから。
 
 自分が痛みを経験しないと他者の痛みが分からない。本事件加害女子生徒がそれに気付いても、被害女生徒は戻ってこない。加害者が更生するために、常に被害者がいなくてはならない不条理である。
 
 2006年12月に都内でバラバラにされた遺体が見つかった。被害者は外資系大手企業に勤める30代の男性で、加害者は30代の妻であった。妻は社長令嬢であり、生活には何の不自由もしていなかった”セレブ婚”であった。
 
 犯行の動機について妻は夫からの暴力や暴言を浴びている。人格を否定されるような事も言われ、日常的に不満が鬱積し、夫に対する愛情は消失していった。
 
 長崎の事件といい、渋谷の事件といい、女性が加害者で残忍な手段を用いた単独犯であった。2人とも傍から見れば”成績優秀”で恵まれていたにもかかわらず、おぞましい凶行に走った。
 
 家庭内の出来事が100%の原因だとすると、”命の授業”はあまり役に立たないかもしれない。家庭内で不安や不満に思った事を吐露できる場所が必要である。それが未成年の悩みであれば、なおさらの事である。
 
 長崎の加害女子生徒は文武両道だった。知識もあった、ルールも知っていた。そして芸術の才にも恵まれた。しかし、どんな子どもにも持ち合わせているはずの、利害関係のない純粋な優しさはどこに置き忘れてしまったのだろう。
 
 
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