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”イイネ!”と”どうでもイイネ!”は紙一重

  
 先日「Facebookのイイネ!は時間の無駄”と書いた。”イイネ!”自体はそれほど無駄では無いかもしれないが、イイネをするためにタイムラインと睨めっこしていることが無駄なのだ。
 
 アメリカでフェイスブックをやめた人の回答で「他人のディナーを見るのに飽きた」とうものがあった。確かに他人の食事の写真を見せられても、何ら感動は無い。どうせなら、その食事のレシピでも付記された方が生産的である。
 
 面白いと思うのが、ミクシィ時代は”マイミク”であったにも関わらず、プロフィールに本名を出していない人が結構いた。しかし、フェイスブックに移行した瞬間に水を得た魚のごとく、”どこにいる””誰といる””何をしている”というようなプライバシーがこれでもかというほどにタイムラインを埋める。
 
 こうなった理由は、ミクシィがどちらかというと招待制で始まった閉ざされたウエブスペースだったのに対して、フェイスブックは自分で登録して、友達を探すという積極的で開かれたものである部分が強い。実名登録を基本としているところも、その流れを後押しした。 
 
 こうした流れの中に、フェイスブックの”イイネ!”があるわけだが、これが少々怪しい。slacktivism(スラックティビズム)という言葉をご存じか。社会活動をしたわけでは無いのに、自己満足的に社会運動めいたことをする行為であり、類義語にclicktivism(クリックティビズム)がある。”イイネ!”の一票で社会を変える、変えた、クリック一つで人の命を救った、そんな感覚だ。
 
 クリック一つで世の中は変わらない。人差し指の運動が世間を動かすのではなく、当然ながら人が動いて社会が変わる。
 
 ”イイネ!”は1つの指標になり得るが、本心でどう考えられているか分からない。thumb up(サム・アップ/賛成する)よりも、コメントやメッセージが届いた方がSNSは楽しい。あとついでに、食べ物の写真が多い人は、摂食障害などを引き返すという研究結果を米国の専門家が警告しているので注意が必要だ。
 
 ”イイネ!”と”どうでもイイネ”は紙一重である。この世に氾濫する”イイネ!”のうち、どれだけ虚構の人間関係維持に役立っているのか、興味深いとは思わないだろうか。
 
 
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