お手紙交換

 若い時に一人暮らしをしていたころの水道光熱費を調べていた。水道光熱費は今とさほど変わらないが、むかし無くて今あるものはネット・携帯電話関連の支出である。
 
 時々古い友人と話すことがある。若い頃に携帯やネットがあったら楽しかったな、と。女子の家に電話するのもお父さんが出るととても緊張することになり、「お、お、お世話になってます、Nonoと申します・・・」と気合いを入れて言ったものである。
 
 しかし携帯が無くても楽しかったのでそれでよいのだ。携帯やネットの有無にかかわらず、楽しい思い出がなかった、今も楽しくないという方が問題である。こんな便利な道具があるのに、人間関係がうまく築けないというのは問題である。
 
 14年ほど前、メールの送受信にお金がかかっていたころ、一通のメールの文が長いことに驚いた。かつては友人間のメールもそれだけ気合いを入れて送り、受信が本当に楽しみだった。そう考えると、ネット代が安くなったのは良いとはいえ、丁寧なメールを送信することがいい加減になってきた。
 
 昔もらった手紙の類も取ってある。その人の筆圧や文字の大きさ、これを書いて投函するまでに相当の時間がかかっていることが想像できるから、手紙というのは本当に貴重品だ。古くから存在するこの手紙というのは今でも重要なインフラになっている。
 
 その”親書”のやりとりを巡って、日本と韓国がぎくしゃくしている。信書は手紙を意味するが、親書というのは特に個人間の重要なやりとりに使われるものである。特に外交上重要な役割を示すものであり、メールと違って記録として残せるものである。その大事な物を”受け取り拒否”するというのは真摯な対応ではない。
 
 メールやファックスと違って、相手のことを考えて書き上げた物であると言うことを再認識すべきである。その記録物が、いつか両国の未来発展の礎となることを願う。記録すると記憶になる。記憶の積み重ねは忘れないことになり、両国の発展に必ず寄与する。
  
 
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