ローザンヌ国際バレエで優勝 17歳のマドンナ・菅井円加さんは努力家だった

 
 「自分の名前が呼ばれたときは自分だと信じられなくなって頭が真っ白になった」。
 
 第40回ローザンヌバレエコンクールで優勝した菅井円加さん(17)=私立和光高校2年・神奈川県厚木市在住=が厚木市内で記者会見に臨んだ。以下は抜粋。
 
–将来的にどんなダンサーになりたいか
 
 「将来はお客様に感動を与えられるようなダンサーになりたいと思っています。吉田都さんは昔から目標としていた人」
 
–指導をしていた佐々木先生に。どんな生徒さんでしたか

 「とてもさっぱりとした性格で、小さいときから運動能力が高い。男の子の踊りが好きでよく真似をしていた。もっと女の子の踊りをしてもらいたいと思っていた。とても才能のある子でした」
 
-(菅井さんに)ダンスをやっていて苦労した点
「辛かったことは数え切れないほどあります(笑)体の自己管理と強い精神力」 
 
– 天然キャラだとスクールの友人が言っていたが
「私の周りも天然の人が多いと思います。自覚はないですが、忘れ物なんかは多いです。でもあまり自覚がないです」

– 具体的にはどのような体作りをしていたか。両親の教えで大切にしていること。
「太りやすい体質なので食べ物に気をつけたりお風呂でマッサージをしている。両親からは周りのサポートがあるから今の自分があるから周りに感謝しなさい」
 
– バレエ以外の得意競技は いつから世界を意識したか
「世界を意識をしたのはコンクールに出始めて、ローザンヌを見て私もこんなに楽しんで踊ることができるのかなと思った」「体を動かすことが好きなので、スポーツは何でも見るのもするのも好きです。サッカーは見るのが好きです。球技もするのは好きです。走るのも好きです。ジャンプ系が得意です」
 
– 優勝したときの演技、菅井さんがここがよくできたと思うところは
「まだまだ未熟なのでもっと練習して行かなくてはいけない。学ぶことが多かったのはコンテンポラリーのほうで、イメージをふくらませて踊ることができた」
 
–自分の一番のウリは
「一番のウリは曲を聴きながら、創造していくのが好きで、自己流にイメージをふくらませながら踊ります」
 
–お客さんを感動させるダンサー、今後の課題は
「まだまだ芸術性、表現力、テクニックも勉強して努力しなくてはいけない。課題は尽きません」
 
–バレエ以外では何をしてますか
「映画をたくさん家で見たり学校の課題をやったり愛犬とじゃれたりすることを家でやっています。犬の名前はモモでアメリカンコッカスパニエルという犬種です」
 
–辞めたいなと思ったことは
「たくさんあります(笑)壁にぶち当たった時、課題を乗り越えられないとき、自分の殻を破ることができないとどんどんネガティブ思考になる。今はバレエは人生の一部になっているので必要不可欠です」
 
–遊びたいなとか、同年代の子のようにないですか
「たくさんあります。でも今遊んでいる間に、今遊んでいていいのかなと思う。でも他のことも経験することが大切なので、遊ぶことも大事、バレエも大事だと思う」
 
–(佐々木先生に)彼女が優勝したことのバレエ界の意味について。
「今の若いかたが日本でダンサーとしてやっていくのは難しい。海外に若い子が出ていくのは惜しい気もするが、そういう環境が(日本に)ない。育てて送り出してあげることに専念せざるを得ない。また帰ってきてくれれば嬉しい」
 
– (菅井さんに)ローザンヌでのエピソードがあれば
「海外のクラスで先生以外の先生から教わり、何もかもが新鮮でした。クラスは初めて会う人たちとのレッスン、全てが自分の力となって、楽しんでできたのが嬉しい」
 
–吉田都さんのどういう点が憧れか
「表現力がずば抜けて凄いし完璧だと思います」

–コンテンポラリーではどういうイメージで踊ったか
「リベラレ=自由という意味があって、何かに縛られている自分を開放していくイメージを楽しんで踊った」。

– (先生に)菅井さんの運動能力について
「女の子には珍しく筋力や運動能力が強い。回転はちょっとまだまだと思いますが(笑)、男性しかやらないステップとか遊びですができてしまう。少しでも長くて細い筋肉になって欲しいので、そういうのはやめてくれと(笑)」

– 運動能力の高さはコンテンポラリーにつながるか
「彼女が選んだコンテンポラリーは男女兼用するバリエーションだった。例年ですと男性が選びますが、今年は彼女と若干名の女性でした」。「ダンスの世界はクラッシックとコンテンポラリーの垣根がなくなっている。両方融合させた作品も出ますし、昔はモダン、クラッシックとかなり分かれていたが、今は良いダンサーであれば全部をこなせなくてはならないので今の若い子たちは訓練が必要」

–バーミンガム留学を候補と挙げた理由は
「吉田都さんが出身の所でありますし、カンパニーでもプロとして活動していくことを考えているので。色々なカンパニーを見てから考えていきたい」
 
–(先生に)最初教室に来た菅井さんの印象は
「最初から才能の見える子でしたので大事に育てていくことを考えた。日本でも小さい年齢からやっていかなくてはいけないと思っていた」
 
–  例えば100メートル何秒くらいとか分かりやすい記録があれば
「50メートル走は6秒と7秒の境目くらい。ハードル走は上に飛んじゃうのでタイムは早くないです。バスケットボールは本当に大好きです」

 会見の後、小林常良・神奈川県厚木市長から表彰状と記念トロフィが贈られた。
 
 
 
 菅井さんの師匠の佐々木先生が会見の中で言っていた「若い方が日本でダンサーとしてやっていくのは難しい」という部分はバレエやダンスという舞台芸術が一般的な文化として日常に浸透していないこともある。日本は国土が狭いこともあり、バレエの練習をするにはコストがかかることもある。これはスポーツにおいても同じである。将来の可能性があるかも知れない人たちが、経済的理由でその才能の芽を自ら閉じてしまうとしたら残念なことである。
 
 こうした分野の教育施設整備が進み、世界へ羽ばたく日本人だけではなく、日本に留学する外国人が世界から集まるような分野になればいい。日本人そのものが世界で評価されるというのは、資源のないこの国で一番の国益だ。
 
 バレエ・ダンスの世界では高身長や手足の長いことに越したことはない。体のつくりでいえば外国人のほうが有利であるが、フィギュアスケートと同様に跳躍や繊細な表現は小柄な日本人のほうが有利なのかも知れない。小柄ながらもいかに大きく見せるかがテクニックだ。
 
 菅井さんは幼いころからバレエを始めた。調子が悪いときにもレッスンに参加し、先生から「今日はやめた方が良いんじゃないの?」と言われたほどの根性の持ち主である。「バレエは跳んで回ってなんぼ」という事を聞いたことがあるが、ステージの上でのジャンプはとても気持ちのよかったことであろう。そしてその世界のステージで名前を呼ばれる経験は何ともいえない感慨であろう。
 
 菅井さんはまだ17歳であり、バレリーナとしてダンサーとしてこれから磨きがかかっていくことであろう。菅井さんといい、なでしこジャパンといい、フィギュアスケートといい、これで世の親御さん達は娘に何を習わせた方がいいか悩むに違いない。そしてどんな分野でも一番になる人というのは決まっている。それは、「やるかやらないか」という極めて単純な事において、前者を選択した人たちということである。
  
  
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★ ローザンヌ国際バレエ、日本の17歳優勝 菅井円加さん(朝日新聞・2012/2/5)
★ バレエ「日本人にあった芸術」(産経新聞・12/2/6)
★ Prix de Lusanne 2012
★ 佐々木三夏バレエアカデミー 
 


 

 
 

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