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松田聖子の商業的成功 聖子がウインク

 80年代のトップアイドルとして君臨したのは松田聖子であることに異論はないであろう。それまではピンクレディが一世風靡していたが、解散したタイミングで現れたのが松田聖子だった。独特の髪型は同年代アイドルも模倣し、一般の女の子も真似するところとなった。
 
 メディアが分散している今と違い、「明星」「平凡」というアイドル月刊誌の発売日が待ち遠しかった。テレビは生放送の歌番組も多かった時代であり、同じテレビ番組を誰もが観て、同じ情報を共有した。聖子の人気を否定する風潮は全くなかったと言っていい。
 
 歌番組のみならず、バラエティやドラマ、映画に出演すればそれはすぐに巷の話題として国内を駆け抜けた。そうしたメディアへの積極的露出だけが聖子の商業的成功を裏付けたわけではない。本業である歌もファンを離すことはなかった。聖子の甘い歌声に惹かれ、彼女が出ているだけで足りており、振り付けなどをしなくてもよかったのだ。
 
 楽曲提供陣も豪華であった。作詞は三浦徳子、松本隆、尾崎亜美らが担当であったが、その歌詞の内容はあたかも聖子自身にマッチングしているかのような言葉が連なり、聖子のキャラクターの確立を手助けした。可愛いけど少しやんちゃな女の子。でも一途な恋を歌い上げるのだ。
 
 作曲陣も歌詞に花を添えた。財津和夫、大瀧詠一、呉田軽穂(松任谷由実)、細野晴臣、大村雅朗、Holland Rose(佐野元春)、尾崎亜美、土橋安騎夫、大江千里、タケカワユキヒデ、奥居香などなどビッグネームが並んだ。聖子が年輪を重ねるに従って、その曲調は動的な音符の並びから、静的な音符の躍動へと変わった。
 
 85年には全編英詩アルバム「Sound Of My Heart」をリリース、新境地を開くことになる。同アルバム内の「Touch Me」はフジテレビの日本女子バレーイメージソングとして採用されたほか、シングルカットされた「Dancing Shoes」は聖子初となるPVが公開され、その中でダンスを披露している。このアルバムは外国人によるプロデュースであるが、日本人好みの曲が揃っていて、別の聖子の魅力が垣間見える。
 
 ビートルズが成功したのは、彼らの実力もさることながら、プロモーションの力が指摘されているが、聖子もまた同じであった。完全に同期アイドルとは別の格を成していた。今では最盛期を過ぎた聖子ではあるが、ディナーショーやライブなどのチケットは即完売の実力を維持している。
 
 最近になって、過去に発表されたアルバムが音質を改良して一斉に再発売となっている。聖子の曲はB面の曲も魅力的な曲が揃っており評価が高く、ファンにとっては嬉しいリリースだ。
 
 どの時代にも”マイアイドル”がいると思う。アイドルも年を取るが、同じ時期を一緒に年をとれるというのはファンにとって永遠に続く喜びである。
 
☆ 昔は歌うことが食事や呼吸をするように当たり前のことでしたが、それが年を重ねてくると緊張するようになりました。(松田聖子)
 
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★ Seiko Matsuda オフィシャルウエブサイト

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