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野次馬の罵声と撮影でPTSDに 航空機内で救命活動中の女性

 航空機内で心肺停止状態の男性に蘇生措置をしていた女性が、周りにいた野次馬の乗客に携帯カメラなどで撮影され、恐怖心などから心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。中高年の日本人男性乗客らが「テレビと同じ」「やめたら死ぬんでしょ」といって撮影、女性は中年男性が集まる場所で過呼吸の症状が出るようになった。シャッター音が恐ろしくなり、携帯のカメラを使えなくなったという。
 
 野次馬が撮影というと、秋葉原の事件が頭をよぎる。あの事件のとき、多くの人が携帯電話のカメラで撮影していた。そのため、犯人が警察官と対峙する瞬間や逮捕直後の画像を見ることができた。人が集まる歩行者天国だからそれをなしえた。新聞やそのサイトでは多くの写真の下に「視聴者提供」と記されていた。
 
 携帯電話にカメラが付くようになり、誰もが現場のレポートをできるようになった。マスコミよりも早く、現場にいることのできる人たちが増えたのだ。
 
 私は映像を撮ることが昔から好きで、友人と遊びに出かけるときはいつもどこかにカメラを向けている。だから、この野次馬根性はよく分かる。私も”現場”にいれば間違いなく撮影していたであろうし、きっとブログに掲載していたに違いない。
 
 そしてカメラを回していると気付くことがある。よくマスコミのかたが、カメラやマイクを持っていると怖くない、ということがあるが、それと同じ気持ちになるのだ。”危険”ギリギリまでレンズを向けようとすら思う。
 
 人は大きく分けると発信型の人と受信型の人がいる。発信型は常に「教えてあげる」と、何かを伝えようとする人であり、受信型の人は常に「教えてください」と何かを知ろうとする人だ。人間関係の根本にはこの2つが大きく作用していると思う。
 
 教えてください、という人がきっといたに違いない秋葉原の事件現場は、撮影することに意義があると思う。しかし冒頭の航空機内での女性の話、映像や写真を「見せて下さい」という人がどれくらいいるだろうか。
 
 写真などを記録しようと思うのは、曖昧になる人間の記憶を補完するためである。撮影することに意義が無ければ、プライバシーや肖像の権利を侵しているといわれても仕方のないことだ。航空機で救命措置中の女性を撮影した中高年の男性がた、あなた方の行為でPTSDになった女性がいることも記憶として残しておいていただきたい。
 
 
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★ 飛行機内で救命中、傍観乗客の視線と写真撮影でPTSDに(産経新聞・08/6/25)
★ 【勿忘草】もしも秋葉原で(SANKEI EXPRESS・08/6/23)
★ 秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち(産経新聞・08/6/18)
★ この”事件”の詳細はこちら。真ん中の「症例」をお読みください。
 
 

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