言葉のリサイクル

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勝ち組と負け組

 
 友人が言った。「最近、体の調子が悪いから病院に行こうと思って。何かの病気だと診断されたら安心じゃない?」。いや、健康だと診断された方がいいに決まっている。
 
 何かに分類され、その中に収まっていたほうが安心であるということがあるが、奇妙な枠にとどまることが安心できるという空気に時々遭遇する。例えば「負け組」という言葉がその一例だ。
 
 収入やその社会的地位が低いと自覚すると、「わたし負け組だから」と言う。負けという消極的な言葉を使うことで、自分を区別しある種安心する心の拠り所を作るのであろう。しかし一方で「勝ち組」の人は自らをそうは呼ばない。「負け組」と称する人は少々ずるい。不安定なことを認めながら、負けていることに誇りすら感じる勢いなのだ。
 
 そもそも、そうした人たちが何をもって勝ち負けを決めているのかは分からないが、いつの間にか広がっている拝金主義もその一因を担っているのかもしれない。
 
 その俗っぽい言葉である「負け組」の人にも2通りある。1つには敗北感にひたすら打ちひしがれているだけの者。そしてもう一つには、それをバネにして這い上がろうとする者である。その違いが勝ち組であり、負け組である。
 
 
☆ 成功とは基本のABCに尽きる。つまり能力(ability)、運(breaks)、そして勇気(courage)である(Charles Luckman)
 
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