言葉のリサイクル

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20年経った日航機墜落事故

 「羽田発大阪行きの日本航空123便が管制塔のレーダーから消えた模様です。」
 
 夕方のニュースが終わる直前に「今入ってきたニュースです」のあとに冒頭の原稿をアナウンサーが読み上げた。
 
 日航機墜落事故は明日12日で20年になる。乗客乗員520名が死亡、4人が奇跡的に助かったが、航空機事故史上最悪のものとなった。歌手の坂本九さん(享年43)も巻き込まれた。
 
 その後、毎年この日になると、遺族は事故現場である群馬県の御巣鷹山に登り、故人の冥福を祈った。12日は無理だが、坂本九さんの長女で歌手の大島花子さんが御巣鷹山に事故後始めて向かうという。
 
 現場は山の尾根。遺族も高齢化しており、故人の冥福を祈るのも容易ではない。
 
 そして最近の日航機の相次ぐ整備ミス。「安全第一」が絶対であるはずの乗客輸送にかげりが出てきた。子会社である外国人の労働力に整備を任せて経費を節約。どの航空会社もそれをしているが、「安全面に問題はない」と胸を張る。
 
 事故が起きてからでは遅いのである。脱線事故も墜落事故も会社幹部が頭を下げて、亡くなった人が戻ってきてくれればいくらでも下げてもらいたい。しかしそれが出来ない以上は、不幸な歴史を繰り返さないのが重大な責務である。
 
 「安全第一」には続きがある。「品質第二」「生産第三」である。「安全第一」は単なるかけ声ではなく、乗客輸送に携わるものが仕事を超えて意識していなければならない文言であることを忘れてはいけない。
 
 
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20年経った日航機墜落事故」への1件のフィードバック

  • 日航機事故20年目
    あれから20年経ったんですよね。
    本当に時の経つのは早い。この20年、ワタシも大きく変化があったわけです。
    高校から大学に進み、大学に5年行き(笑)、いろんな会社を経て
    結婚し、子供をもうけ・・・
    あの時16か17だったですからね。
    先だって弟とこの件でメールの

    返信

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